子供が「痛い」と泣いてる。母が、「どれどれ、どこかな」と問いかける。「ここ」、「はいはい」と「手を当てる」。その瞬間、子供は、まだ半べそではあるが明らかに「安心」が加わった顔となっている。これは勝手に身に着いたものではない。母から子へと代々伝承してきた伝統的な民間療法なのだ。それが日本人の無意識下には存在している。
民間療法の源流を辿るとシャーマンに至る。野草や木や動物を加工、調合して「のます」、「ぬる」などして、彼らの効力を借り、患者の身体を癒す、あるいは治す。アメリカン・インディアンは、このようなシャーマンをメディスンマンとして区別している。薬に期待するのは、彼らの生命力、生き抜く智恵(他から身を守るために確保、進化してきた武器である。)を借り、患者の自然治癒力を強化促進する力だ。シャーマンは、代々伝えてきた効果情報の記憶と自身の経験により必要なものを選択し量を症状などにより加減する技術を持っている。
薬による直接的なもの以外に、祈祷という言霊による対処法がある。これを現代人は、「呪(まじ)いなど効くはずがない」と笑う。しかし子供頃を思い出していただきたい。「痛いの痛いの飛んでけ!」と「ちんぷいぷい=地陳(地神)に封印、封印」のお世話になった事を。本来、「呪(まじ)ない=魔じない(「じない」は、動じないをヒントにすればおわかりになるでしょう)」とは、意念の強い者(シャーマンや母)の暗示(祈祷やお呪い)により本人の中に眠る自然治癒力(潜在意識)に働きかけ、その力を最大限に引き出す術なのである。高度な術を得たシャーマンであれば現在の催眠療法と変わらない(これは私の勝手な想いだが)効果が期待できる。逆に厳しい修行をせず意念力を獲得していない形式的祈祷師と、それに信頼をよせえない現代人の関係では、何も効果が期待できないは当たり前の話なのである。予断だが、このことからもいかに医師と患者の信頼関係が大事であるかが推察される。
最後になったが、シャーマンが患部に触る方法に少し触れよう。霊治療などとオカルト的にイメージを持たれがちだが、これが冒頭に書いた「手当て」の本質であり、現代でいう触診であり、シャーマンにとっては、同時に「治療」でもあるのだ。もっと身近な例として上げれば「按摩=マッサージ」だろう。中国では、棒でツボを押す、さらには針を使う高度な医術として発展して来た。
母が子を想う真心と、母に対する無垢な信頼関係は、有能なシャーマンによる祈祷と手当ての術にもかなわないのかもしれない。 (文
byKOH) |