目次 初めての時はピンとこなかったけれど。。。
東洋医学の智慧に想う 1.手当て 2.懐石 3.手かざし  
 
 
  初めての時はピンとこなかったけれど。。。
 

ビワキューは、お一人お一人本当に反応の出方が違います。

初回で「これは私に合う」と確信される方もいらっしゃれば、「効いてんだが」というお声もいただきます。

そのような方でも ある時!「来た―――っ」という日が訪れたり とっても興味深いのです。

byAZUMIC (びわだより8月号より)

     
 
1.手当て

子供が「痛い」と泣いてる。母が、「どれどれ、どこかな」と問いかける。「ここ」、「はいはい」と「手を当てる」。その瞬間、子供は、まだ半べそではあるが明らかに「安心」が加わった顔となっている。これは勝手に身に着いたものではない。母から子へと代々伝承してきた伝統的な民間療法なのだ。それが日本人の無意識下には存在している。

民間療法の源流を辿るとシャーマンに至る。野草や木や動物を加工、調合して「のます」、「ぬる」などして、彼らの効力を借り、患者の身体を癒す、あるいは治す。アメリカン・インディアンは、このようなシャーマンをメディスンマンとして区別している。薬に期待するのは、彼らの生命力、生き抜く智恵(他から身を守るために確保、進化してきた武器である。)を借り、患者の自然治癒力を強化促進する力だ。シャーマンは、代々伝えてきた効果情報の記憶と自身の経験により必要なものを選択し量を症状などにより加減する技術を持っている。

薬による直接的なもの以外に、祈祷という言霊による対処法がある。これを現代人は、「呪(まじ)いなど効くはずがない」と笑う。しかし子供頃を思い出していただきたい。「痛いの痛いの飛んでけ!」と「ちんぷいぷい=地陳(地神)に封印、封印」のお世話になった事を。本来、「呪(まじ)ない=魔じない(「じない」は、動じないをヒントにすればおわかりになるでしょう)」とは、意念の強い者(シャーマンや母)の暗示(祈祷やお呪い)により本人の中に眠る自然治癒力(潜在意識)に働きかけ、その力を最大限に引き出す術なのである。高度な術を得たシャーマンであれば現在の催眠療法と変わらない(これは私の勝手な想いだが)効果が期待できる。逆に厳しい修行をせず意念力を獲得していない形式的祈祷師と、それに信頼をよせえない現代人の関係では、何も効果が期待できないは当たり前の話なのである。予断だが、このことからもいかに医師と患者の信頼関係が大事であるかが推察される。

最後になったが、シャーマンが患部に触る方法に少し触れよう。霊治療などとオカルト的にイメージを持たれがちだが、これが冒頭に書いた「手当て」の本質であり、現代でいう触診であり、シャーマンにとっては、同時に「治療」でもあるのだ。もっと身近な例として上げれば「按摩=マッサージ」だろう。中国では、棒でツボを押す、さらには針を使う高度な医術として発展して来た。

母が子を想う真心と、母に対する無垢な信頼関係は、有能なシャーマンによる祈祷と手当ての術にもかなわないのかもしれない。 (文 byKOH)

2.懐石 記事のTOPへ  

懐石と書くと、懐石料理を連想するが、手当法の発展したものに、石を温めて患部にあてる方法があり、懐石もその一種の方法であった。禅僧が、空腹を堪える為とされているが、これは民間療法的に言えば、臍下丹田というツボの位置に温めた石を抱くことで氣をめぐらす健康法でもあった。

石の発する熱には、遠赤外線効果が大いに期待される。ちなみに古の智恵として、日中太陽によって暖められた磐の上に寝る方法があった。もちろん磐の上に、香りの良い草を敷き寝れば、さらに効果は高まる。まさに地球に癒される感覚であろう。新しい畳に座った時の香りを想えば想像はたやすいし、これは香り療法として発展して来た。

やがてインドでは、石とオイルを合わせて使うようになる。この方法は、現代にも残っている。しかし石は、温度管理が難しい。現代では薬草のエッセンスの入ったオイルを温めて、マッサージする方法となった。中国では、薬草効果との併用としてお灸に発展して来たのである。

これらの術の発展は、個人的シャーマンのレベルを超えて体系化し発展し、東洋医学の一部となって行く。その理由として文字による記録が可能となったことがあるが、一番大きな理由は、戦争で傷ついた兵への対処、そのため国家が援助したからでる。ちなみに仏教国は、殺生を禁じていたから敵兵も殺さず、できるだけ生け捕した。その為に急所を調べ、それがツボに繋がったと言われている。なお同理由から他の宗教国に侵略を受けやすかった。そしてもうひとつがその宗教による民衆救済活動である。これらを単純に言えば「武道」と「仏教」による発展と言っていいだろう。武道の場合は、秘伝として一子(弟子)相伝であったが、仏教の場合は、民衆に広がった。それが日本にも入って来て、色々な遍歴を経て民間療法として定着したのである。

琵琶は、王の字を四つも持っていいるように、医薬王樹と言われ、中国から世界に広まった。びわ灸は、薬草として琵琶のエッセンスを、最適な温度でツボを圧してながら体内に浸透させる温圧療法でり、インドのオイル式と中国の灸の智恵の良いところを合わせ持っていると言える。ちなみにインドには、中国からこの療法は拡がっていったのである。 (文byKOH)

3.手かざし 記事のTOPへ  

「手当て」法のように直接身体に触れる方法、言霊による精神的な方法、温度や圧を使った方法の他に、「手翳(かざ)し」という身体に触れない方法がある。例を上げると、中国での外氣功で「氣」を送り込む治療が国家レベルで公認されている。中国では、古、直接他人に触ることを好しとしない(思想があった)。そんなこともあり世界的にも稀である手翳し法が発展したと言われている。しかしキリストや空海などの行った奇跡の治療行為と思われる逸話の場面を想像するに、おそらくこの手翳し法であったと推察されるので太古から存在していたのだろう。 

この手翳し法での薬に当たるものが、氣である。この氣を説明の為に、パワーとしよう。そのパワーは、人の内にある、そのパワーを患者の弱った場所に送り込み補填する。つまり意念によって患部に氣=パワー=薬を送り込むわけだ。この場合、患者も氣を送る側も、患部を認識しているから、意外と手当て法の母と子の関係性に似た効果があると考えられる。

もうひとつ大氣、つまり自然の氣を使う方法がある。この場合は、氣を送る側は、媒介者であり、氣の源は自然である。この場合前者のように患部を認識して行ってももちろん良い。しかしこれを自然界、つまり屋外の氣の多く集まる場所にて、患者の患部に関する何の情報もなく行ってみると良い。一概に言えないが、不思議な体験をすることになるだろう。

この氣の集まり易い場を感じる事ができる能力を手にしようとした者がかつてはいた。それが仙人であり、行者であり、修行僧であり、山伏などであった。それぞれ目的は、不老不死、神通力、悟りや解脱、修験と違っていたが、そしてその先に真の崇高なる目的である民衆救済の思想があったと反論されたにしても、彼らは自然界に無限に溢れる氣に繋がることを、まずは第一段階の手段として手に入れようとしたことを否定できない。

東洋医学はもちろん、東洋の宗教、信仰、思想、哲学などは、自然と人が常に表裏一体であるとし、離れて存在することはできないとしてきた。もし離れようとすれば、戻ろうとする力が必ず働くと言い切る。それが登山ブームやパワースポットが着目される理由なのであろうか。  (文byKOH)