「深山に参る」では、山<森や川、そこに住む全ての生き物を包括する意味での>を歩く事を提案させていただいております。

 
 
 
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●記載について
「題」がないものは書き掛けです

 

■■■ 実感

   聞き慣れない「動禅」、「行禅」は、文字通り「行動」しながらの、「座禅」は 座っての、「立禅」は、立っての「禅」です。
 「禅」のもつイメージと言っても半眼で静かに想いをめぐらす「座禅」しか思い浮 かばないとおっしゃられるかもしれませんが、それで十分です。「瞑想」も「静かに想う」程度に簡潔で良いのです。
 山彦恵方が大事にしたいのは、自分自身と自然との同調、調和でありその現実としての体感なのです。
 理論は、方法論でしかなく、体現として感じる事や事象が起こらなければ、それは やはり無に等しいのです。クオーツの時計の中で、水晶が規則正しく振動していますが私達は感じる事はでき ません。しかし針の運動としてそれを認めています。
 『森での瞑想』によって「なんだか元気が良くなったなあ」という実感を得れれば
それが「善」であり「然」なのです。
 
 
 
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■ 森での瞑想  
 

 山彦恵方が「深山(みやま)に参る」時、大事にしていることがあります。
 それは「元気」になることです。
 元「げん」は「源」に通じます。人の源(みなもと)の「氣」が「元気」です。そ
の状態が良いことを「元気がいい」と言うのです。
 人の身体の約70%は、水分です。身も「み」です。つまり「みず(自)」です。
 山の沢や川や滝、森の木々、そして苔生す岩の「みず」が、自然界の「氣」の「源
(みなもと)」です。
 自然界の「み」な(の)「元(もと)」である「みず」と、身体(自身)の内にあ
る「みず」との同調、調和を通じて「元気」になっていただくこと。
 それが森での瞑想の目的なのです。そして山彦恵方が、自然のなかでの瞑想を大事
にしている理由なのです。

 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
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■■■■■■■■■ 繋がる 
     
 
 
 

 
 
 
 
 
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森での瞑想
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最終更新年月日 2010年1月2日15時00分

■■ 「ぜん」
 

 『深山に参る』は、山を歩くことに「動禅」あるいは「行禅」を意識しましょうと いう提案です。
 それに対の形で『森での瞑想』では、「座禅」と「立禅」を提案させていただきま
す。
 その事前準備として自然との調和、同調がし易いように、心(自分)の置き場とな
る自身(身体)をチューニング調整する為にヨーガやストレッチと錬功(氣功、太極 拳、養氣呼吸法)を行っています。
 「何やら難しいなあ」とお感じになられるかもしれません。
 お叱りをいただくかもしれませんが、ここで用いた「禅」は、イメージをお伝えす
るための方便として用いさせていただきました。
 「禅」や「瞑想」を究めようということに目的を置いてはおりません。
 「禅」は、「善」に置き換えても良いし「然」でも全然いいのです。

 
 
 
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◇更新情報
 
「山彦恵方」は、自然を大切にする個人、団体に協賛、賛同します。いかなる政治団体、宗教団体、その他の団体と一切関係ありません。
 
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