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山の言霊に引越しました
山に入り道を歩く、一所懸命に歩く、 苦しくても辛くとも歩く、 頑張ってひたすら歩く・・・。 そこに在るのは、自分自身が腕を振って足を前に運びただ「歩く」という肉体の行動と、その時々に心に湧く想いを「感じる」だけの自分です。 少し別の意識を加えましょう。 山を渡る風、温度の変化、木々の香、鳥の鳴き声や水のせせらぎの音や光、季節の移ろいで変化する木の葉の色、空、雲の色などに意識を向けて観る。 自分自身の軸を何処に置くのか。 肉体から感性へ、感性から観性へと軸を移行してみましょう。 「歩〜感〜歩」の繰り返しを「歩〜観〜歩」へと移行していく工夫。 人と動物を分け隔てる以前、自然の中で暮らしていた動物としての呼び名「人」の心に戻る行為。 観じ想う事、山を歩きながらの「観想」です。 それが山彦の想う「観想」なのです。
登山道と呼んでいる道の多くは、かつて信仰の道でした。 現在も山には、山伏が修験を目的に通った道が多く残っています。 そういう道には、「鎖場」や「蟻の戸渡り(両側が切れ落ちている尖がった道)」のような少々危険な所があり、当然ながら通過には緊張感を伴います。 こういう場面に向き合うと人は、「死」に対する防衛本能(潜在意識)を惜しみなく発動させます。 手足の触感、眼、耳など、あらゆるセンサーで情報を集め、その対応に体中の筋肉、神経、意思を総動し働かせるのです。 その力を「生命力」といいます。 山伏は、山に入ることで「生命力」を高めることができるということを、体験を通じて行う方法として行法としました。 それが古人の山の力の利用方法としての「智恵」だったのです。 生命力の高まりによって、熊の臭い、気配や威嚇音にも敏感に気がつき、修行によっては遠くの水の臭いや音が聞こえるように・・・なるかも知れません。
「生命力」には「免疫力」も包括されと考えても良いでしょう。 免疫の詳しい話は、専門の方や書籍にお任せしましょう。 ここでは古人(いにしえびと)の智恵を考えます。 「力」つまり「ちから」ですが、その「ち」は、「大地」の「ち」であり、土地の「ち」です。 土は、生命の終焉によってもたらされる恵みなのです。 「ち」の元意は『大地の土の働き』、つまり「つち(土)」です。 「働き」とは、土に還してくれる微生物や菌などのことを指しています。 「いのち(命)あるものは全て死に「つち(土)」に還ります。 それなので「れい=「靈(霊)」を「ち」とも読む、と言え、その関連も無理なく理解することができます。 山の空気を吸ったり、山で食事をすると目には見えないけれど、たくさんの菌達もいただくことになります。 「から」は「繋がり」の意です。 『大地の土の働きと繋がって得られる体内に宿るもの』が「ち・から」なのです。 山に行くことで病気にならない・・・それは何でなのかまでは理解できないにしても(山の菌をいただくこで、免疫力も鍛えられるということを)古人は長い体験を通じて知っていたのではないでしょうか。