逝き方
   
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山の企画
山彦恵方は、山<森や川、そこに住む全ての生き物を包括する意味での>を歩く事を軸にして
自然との関係や生活の在り方を提案させていただいております。
     
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 目  次    バックナンバー
    
1.1 逝き方
1.2 命の長(たけ)
1.3 宿る
1.4 山と死
1.5 残すもの
       

ここでは五つの最新記事を掲載しています。

以前の記事がある場合は、ブログ「山恵歩」へ転載しますのでご覧ください。

以前の記事の有無は、ご案内させていただきます。

現在はありません。

   
 
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1.1 逝き方
     

 
人として唯一絶対なのが「生」と「死」です。
人は「いかに生まれるか」を自分自身では決められません。
もちろん死に方もそうです。
ですが「逝き方」を前提に活きることはできます。
「どう逝きたいのか」、其の為に活きると言う活き方は決めれるのです。


 
 
 
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1.2 命の長(たけ) 
   
 
「歳を重ねて活きて逝く命は寿命、宿命」、「歳を取って活きて逝く命は、運命、天命」なのでしょうか。
どう活きるか。
善し悪し、正しいとか、間違いとかはありません。
大切なのはその意識を持つと言う事、そしてこの世で自分自身を何に活かそうと望むのか、問い続けることなのです。
その答えが見つかるまで人は繰り返し己に問い続けます、「この世に生まれて来た意味は何か」と。
重ねている途中でも、取っている途中でも、悔いのない活き方であれば良いと想います。
輪廻転生というものがもしあるのならば、その意味は、その答えが見つかるまで繰り返される命の、魂の循環システムのかも知れません。


 
 
 
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1.3 宿る宿る
     
今も忘れられないシーンがあります。
「そろそろ逝くか」と長老、息子達が「まだ逝くな」と止めます。
「いやもう充分に活きた、それに空を飛びたいのさ」と笑いながら言うのです。
彼は鳥葬で死にたいと、息子達に高棚を作らせます。
ニ段ベットのようなものです。
「今日は天のスピリットへの使者であるイーグル舞っている。死ぬには最高の日だ」と、その上に横になる。
彼の望みは何か。
生きるために他の命をいただいてきた。
だから自分自身もイーグルに食べてもらい、その肉体の一部となり活きたいのだということです。
彼の望みは叶えら逝きました。
私達にはたくさんの命が宿っていることに、たまにで良いのです、想いを遣わし感謝の念をおくりたいものです。





 
 
 
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1.4 山と死
     
古人の山にとっての「やま(山)」は、今のようにお気軽に登山しようというような
ものではありませんでした。
 里に近い山ならまだしも深山に向かうと行為は死と隣り合わせです。
 普段の生活の中で自らの行動による「死」を意識することはまず無いでしょう。
 スポーツで真剣勝負と言っても実際に「死」を背負って行うことはそうはないでしょう。
 冬山登山や岩を登る登攀では、身近な所で「死」の臭いを感じます。
 そこまで極端ではなくとも泊りでの長い縦走や単独での山行ともなると少なからず「死」を意識し考えます。
 それは死へ向かう心の体験の場でもあります。

 

 

 
 
 
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1.5 残すもの
     


死を向かい入れる時、 私の残した物はその瞬間から遺品となる。
その 遺品が死してなお己に恥じない物であり、もしそれが形見分けとなった時、その貰っていただける相手の方にとって誉れなのであれば、実に活きた甲斐、価値に換わる。
そして己がこの世に生きて活きてきて繋ぎたい心、精神とは何かに想いは馳せるのです。


 
 
 
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